最近春の嵐にやられまくってるオースティンですが、
週末もまんまと雨降りだったので
また映画を見に行ってきました。
The Jungle Book 面白そうな映画だったので是非3Dで見ようということになり、
IMAXシアターで見てきました

んもう迫力満点でサイコーだった!!!
有名なお話の実写版ですが、
美しい映像と迫力満点の野生動物達が見惚れるほど素晴らしく、
笑いと涙と共に心にじ〜〜んとくるとてもいい映画でしたよ。
でもいちばん驚いたのは主人公のモーグリの足の長さ!すっげー長いよ!(笑)

そしてこの夏公開のファインディング・ドリーと共に。
なんだかんだ言ってもやっぱり面白そうだから見に行こうっと。
今月は自閉症啓発月間ということで
マイキーの生い立ち記録が続いております。
引き続きお付き合いくださいませ〜
ホントスミマセン(^^ゞ→ 第1話 「幼少時代1」→ 第2話 「幼少時代2」→ 第3話 「何かが違う?」→ 第4話 「医師の見立て」→ 第5話 「診断、そして始まり」→ 第6話「日進月歩」第7話は
「学校の仕組みを知る」約2年間の早期療育でかなりの成長を見せてくれたマイキーは
義務教育のキンダーガーテンから晴れて
通常級へ通うことになり、
私達はそれはもう大喜びでした



「この調子でどんどん成長してったら
あっという間に周りの子に追いつきそうだよね~\(^o^)/」
なんてダーリンとも言い合って浮かれてたわ

そして希望に溢れつつ迎えたキンダーガーテン(幼稚園5,6歳)は
蓋を開けたら
いろいろと大変な1年間となりました…
この時学んだことは
「レベルの高い学校区でも学校によっては制度が全然違う」
「子供に支援サービスの提供を受けるためには戦うこと」ということ。
アメリカでは地域によって学校区のレベルが違っていることが多いんですが、
この時私達の住んでいた地域はシアトル界隈でも評判のいいレベルの高い学校区だったので
特別支援教育の制度もしっかり整っていると聞かされていて安心していたんです。
プリスクールでの早期療育も様々な支援があってよかったし、
お友達のスペシャルニードの子供も同じ学校区内の小学校に通っていたけど、
話を聞くと特別支援のシステムもとてもしっかりしていてアシスタントの先生も多くて
かなりいいって教えてくれたし。
ところが通い始めてビックリ。学校でのマイキーには何の配慮も付いていませんでした。
前もってお知らせしておいたはずのアシスタントの先生もスピーチセラピーも無し。
この2つの介助は当時にマイキーにとって最低限必要なもので
これらの助けがないと周りについていけなくてパニックを起こすのが目に見えていました。
最初はまだサービス体制が整ってないのかな、様子見なのかな、と思いましたが
なかなか状態は変わらず、マイキーはみるみるうちに癇癪大魔王に逆戻りΣ(゚д゚lll)
アメリカではマイキーのような子供にはIEPと呼ばれる「個人支援計画」、
要はその子用にカスタムメイドされた教育計画を立ててくれるのですが、
その計画を話し合う会議が年に1度あります。
なのでその会議を予定よりも早めてもらい早急に支援級の先生達と話し合いの場を持ち、
スピーチセラピーとOT(作業療法)を始めてもらいましたが
アシスタントはつける余裕がない、と難色を示されました…
実は当時このIEP会議についてはいろいろと聞かされていたんですよ。
学校側は基本的に学業がメインな所だから
その他の個人的な問題をヘルプすることはあらゆる理由をつけて却下してくる、とか、
こっちから頼まない限りは何ひとつ行動に出ない、とか。
弁護士をつける親もいるそうですが1時間100ドル払う余裕は私達には無かったし。
ビビりまくっていた気の弱い私はダーリンにも来てもらいましたが
彼も初めての事だったし学校側の強い押しになかなか話は進まない状態でした。
結局は支援級の先生と校長先生が手が空いたときにアシストして下さるという事になりましたが、
キンダーとはいえ学業も始まり時間も長くなった全く違う環境の学校生活がマイキーに与えたストレスはとてもとても大きなものだったと思います。
マイキーは大きな癇癪と無気力を繰り返すようになりました。
何度も支援級の先生に会って話すも改善は見られないし、
そのうちにメールの返事もなかなかくれなくなったりしたから
きっとモンスターペアレントだと思われたんでしょうね。
普通級の担任の先生は経験を重ねたベテラン先生だったんですが
これまた
ハズレ苦手なタイプで
「マイキーのことはちゃーんと分かってますから!!!」の一点張りでろくに話も聞いちゃくれない…(;_;)
このままではやばいと思った私達はいろいろと考え
先ず全日で通わせていたクラスを半日に変更しました。
(キンダーではどっちか選べた。半日は無料だけど全日は有料)
(でも半日クラスには移れなかったのでひとり毎日早退のかたち)
そして週2回、民間のスピーチセラピーに通わせることにしました。
(このスピーチセラピーは結局テキサスに引っ越すまで3年間通いました)
取り敢えず半日になってストレスも半分になったマイキーは落ち着きを見せ始め、
癇癪も少なくなり何とかキンダーを終えることが出来ましたが、
このまま同じ支援級の先生の下で小学校を続けるのは絶対に無理!と判断し、
小1に上がる前の夏休みにに
また引っ越しました!変化を嫌うマイキーを毎年違う学校に通わせちゃって本当に申し訳なかったけど、
今回の転校だけは保留できなかったのよ!.これまた違う学区だったけど、今回はちゃんと
各小学校ごとを調べ、
先生がよくて支援級教育も評判だった学校を選びました。
そしてIEP会議ではしっかり話し合い、要求も聞いてもらいました。
その甲斐あって始めは落ち着かなかった新しい小学校での生活も
支援級の先生と担任の先生の素晴らしい配慮に助けられ
更には優しいよいお友達にも恵まれて
テキサスに引っ越すまでのたった2年間だったけど、
マイキーはとても楽しい学校生活を過ごすことが出来ました。
1年生:フィールドデー(運動会みたいなもの)で楽しむマイキーコントロールが効かなくなると支援級の先生の部屋に行かせてもらったり、
セラピーの先生方もいつも温かく見守ってくださったお陰で
またマイキーに笑顔が戻ってきて本当に嬉しかった。
スピーチセラピーの時間のマイキー
リラックスしてるし嬉しそう♡そしてテキサスに引っ越してからも
キンダーでの教訓を活かしてしっかり話し合い、
新しい小学校でもとてもいい環境に恵まれることができました

10歳(4年生)の時はプレゼンテーションまで出来るように!
すっかり安定して楽しい日々を過ごしていました。小学校時代は担任の先生との相性で1年が大きく変わるのも事実ですが
マイキーはその点でもラッキーでしたね。
(ぶっちゃけ5年間で3勝2敗だったけど(笑)若い金髪の美人先生とはかなり相性がいいマイキーでしたw)
マイキーみたいな子を受け入れてくれる先生はとことん助けてくれたし、
そうでない先生は支援級の先生におまかせって感じでした。
私は出来るだけボランティアで教室に顔を出して
周りの子にもマイキーの事をそれとなく説明したりもしました。
4年生になってからはクラスのお友達宛にマイキーの自閉症の事を手紙でお知らせし、
マイキーと自閉症について理解してもらおうと試みました。
小さい時は周りに「変わった子」の位置付けで認知されていたけど
4年生なら級友も自閉症を理解できるだろうと先生方と話し合って決めたカミングアウトでした。もちろんそれ以降、あからさまにマイキーを避ける級友もいましたが
それでも根気よく話しかけてくれるお友達も沢山いて本当に嬉しかったです。
でも学校生活でいちばん重要だと思ったのは
支援級の先生と親がしっかり連絡を取りあえる状態を持つことでした。
学校と家庭内でルールを統一したり目標を合わせていく事で
安定した状態を保てたマイキーは穏やかな学校生活を送れました。
テキサス時代は若い先生で携帯TEXTでバンバン連絡くれたしね。ホント助かった!こんな風にキンダーでいきなりシビアな環境で始まった義務教育だけど、
今思えば早いうちにこういった学校の仕組みが分かってよかったです。
特にマイキーみたいな普通級に通う自閉症児には
いろいろなその子に合った配慮がその時その時で必要になるため、
沢山の先生達との繋がりが必要なのですね〜。
知らない事ばかりだったので私も一緒に成長できてよかったです。
こうして長かった学校ジプシーも終末を迎え、
今はマイキーの学校生活も落ち着いたものとなっています。
他人とのコミュニケーションなどまだまだ頑張らないといけないことは山ほどあるし、
これからも問題はどんどん出てくるとは思うけど、
今までの経験を活かしつつ試行錯誤していろいろ試してみれば
きっと打開策が見つかると信じて進んでゆきます。
義務教育も半分終了。残り5年です。
これからも一緒に躓いても必ず起き上がっていこうね、マイキー!
相変わらずこんな子だけどな(笑)もう一回続きます。。。
多分。。。